アポカリプス・ハイ タケシ・トラバート

2012年05月24日

 ◇ 中東の男 ◇

アラブの女

★おことわり:世界情勢に全く関心のない方は飛ばし読みして下さい。

      by Takeshi Traubert Marumoto(タケシ・トラバート)


このWebマガジン「Bohemian」内で新連載を始めてからというもの、
ようやく表題(『アポカリプス・ハイ』)と、多少なりとも“関連”した記事を書こうと思う。


とは言っても、かつて、某サイト上で乱書したものの再録である。

なぜか?

もちろん、今後の世界情勢を大きく左右させるエポックメイキングな大統領選挙が始まったからだ。
現代エジプト始まって以来の“民主的な”“市民が選ぶ”“自由な”大統領選である。

ニュース等でご存知の方も多いと思うが、候補者をリストアップしてみる。

*アムル・ムーサ(75才)
*アフマド・シャフィク(70才)
*ムハンマド・モルシ(60才)
*アブドルモネイム・アブルフトゥーハ(60才)
*ハムディーン・サバヒ(57才)

ここでは、投票開始直前時点での最有力候補であり、元アラブ連盟事務局長・元エジプト外相、また、候補者の中でもアラブ世界で長いキャリアを持ち、最年長者でもあるアムル・ムーサ氏について、
約一年三か月前(東日本大震災のちょうど10日前)に「ムーサという男」と題した雑文を、そのまんま再度アップしてみよう。

◇オススメ参照記事:
http://www.swissinfo.ch/jpn/detail/content.html?cid=32751234
◇他参照記事:
http://jp.wsj.com/World/Europe/node_447760

沙漠



       「ムーサという男」

チュニジアの「ジャスミン革命」、そして「エジプト革命」に続く一連の中東関連の速報の中で、今年再びアムル・ムーサ(アラブ連盟事務局長)の名前を頻繁に聞くようになった。

特に“ポスト・ムバラク”として現在、軍が実質的な指導権を握っているエジプトで、次期(新生)大統領選にそれとなく出馬の意思を口にしてからは、大手メディアのほとんどがエジプトの新大統領に最も相応しい人物として、ムーサ氏の名前を大々的に取り上げている(これを書いている現在、中東情勢の“主役”はもっぱらリビアのカダフィだが……)。



ところでアムル・ムーサってそもそも、誰? と思われてる方も多いだろう。


各メディアでは「元アラブ連盟事務局長」とか「元エジプト外務大臣」などといった肩書きで軽く済ませており、実際どんな人物なのか詳しく知っている方はそれほど日本にいないと思う。

もちろん私だってあまり知らない。

あまり知らないけれど、まったく知らない訳ではないので、個人的な意見を書いてみようかと血迷ってしまった。

小生のアンテナに引っ掛かってしまったのにはもちろん理由がある。


と書いてみて、思い当たる節をなぞってみると、結構あった。
いや、たくさんある。

キリがないのでひとつに絞ると、筆者がアラブ諸国を含め、中近東のイスラム世界に長く身をおいていたことだろう。


     ◆

話を戻すと、まず「アラブ連盟」とは? から始まる。


アラブ連盟とはそもそもアラブ圏の団結を目指して第二次世界大戦中、エジプトが発起人となって設立された。

東西冷戦が始まると、ソ連とアメリカの狭間でアラブ諸国のスポークスマンとしての役割を果たし、イスラエル建国後の激しく混乱した中東においても、当初は「連盟(League)」の名にふさわしい団結力を見せた。

でも、すぐに加盟国同士の我の張り合い等でバラバラになり、「連盟」と名のり続けていても、実質的にはうまく機能していない“機関”となってしまう。

幾度もの中東戦争では、仲裁役を買って出た大国からの“使者”(国連を筆頭にカーター元米大統領やキッシンジャー氏等々)の活躍で完全にその影を潜め、イラン・イラク戦争や湾岸戦争では内部分裂してしまう(ムーサ氏はそのほとんどの期間、国連に身を置いていた)。

冷戦終結後から“9.11”までの約十年間「アラブ連盟」の名は聞こえなくなってしまった(ムーサ氏はその時期、ムバラク大統領に煙たがられながらもエジプトで外務大臣を務めていた)。

2001年にムーサ氏がアラブ連盟のリーダーに就任すると、頻繁に加盟国会議を行うようになり、積極的にレバノン問題やパレスチナ問題に取り掛かってゆく(ただし、本気で頑張っていたのはトップのムーサ氏ぐらいだったと記憶する)。

とりわけ
2006年、レバノンを舞台にしたヒズボラとイスラエル軍の戦闘、または、現在に至るまでのイスラエル・レバノン・シリア・イラン各国の情勢不安改善のため、率先して飛び回っていることは特筆すべきだと思う。


     ◆

個人的には、私が2007年〜2008年、ベイルートに滞在していた折、同国(レバノン)大統領不在といった異常事態の中、ムーサ事務局長が幾度もベイルートを訪れていたのが印象に残っている。
2005年、ハリーリ元レバノン大統領が暗殺された後にエスカレートした混乱や、シリアの支援で成り立つイスラム過激派組織による「民主的大統領選ボイコット」問題を早期に解決し、内戦回避のために彼はベイルートとアラブ連盟の本部があるカイロを往復し必死に交渉に当たっていたのだ)。



そして今、自らが新しいエジプトの大統領選出馬に積極的な姿勢を見せたこと、そして彼アムル・ムーサ氏が国内外から大きな支持を得ている現実は、私にとってもなんだか嬉しい気がする。

単に「外交官時代が長く外交手腕に長けているから」とか、「かつて国連での活動が国際社会で高い評価を得ている」から、といった程度のマスコミ説明には残念だが、以上のような背景が(もちろん、ほんの一部だが)ムーサという男には、ある。


が、「しかし」と続く。


御歳ただいま
74才。

さらに、ムバラクと異なり反イスラエル主義を掲げてきた人物。

非暴力革命を成し遂げた反シオニズム活動家や「ムスリム同胞団」が今後どのようにイスラエルや欧米諸国と折り合いをつけてゆくのかも、気になるところ。

中東の民主化を応援しながら、同時にイスラエル支援を続けるアメリカにとって、もし「エジプトにおいて民主的選挙で選ばれたアムル・ムーサ新大統領誕生」というニュースを目にすることになれば、アンビバレントな思いに駆られることだろう。

         (2011年3月1日 執筆) 




     (文責)丸本武 & タケシ・トラバート


posted by タケシ・トラバート at 18:58| タケシ・トラバート

2012年05月23日

◇ 接触 ◇






 

Kissssss



昔からライヴや展覧会のオープニング・パーティには、こまめに足を運んできた。
 それが友人・知人のライヴ・個展であろうとなかろうと……


あたりまえだけど、ライヴ(コンサート、リサイタル、フェスティバル)では、作品の作者 自らが歌い奏で、
展覧会(小規模な作品展から、エキスポ、写真展、絵画展、朗読会……)のオープニングやクロージング・パーティでは、作品とそれらを“創造”した作者と同じ空間を共にすることができるから……


同じ空間を共にし、話し、ハグし、時にkissしたりるすこと……
 間接的なものは何もなく、リアリティの洪水、雨、あられ。


こういった“ナマ”のシェアが、いまの弱気な日本に一番 必要なことだと つくづく思う。



今回、実は、ハグやキスの文化について書くつもりだったのだけど、また いつか。


 



二台あったデジタルカメラを数週間前、どこかの山奥に捨ててきてしまったため、しばらくはそれ以前の写真を使ってみようかと思う。
けっこう埋もれた瞑作・迷作が、実はかなりあって困っていたので丁度いいかもしれない。




       takeshi traubert marumoto(丸本武)

posted by タケシ・トラバート at 06:14| タケシ・トラバート

2012年05月20日

◆ ニッポンへの旅 ◆


on-na

帰国した、という感は、幸か不幸か毎回の如く、無い。

生まれ育った“国”に帰って来た、というだけでの意味で、私は“帰国した”と書ける。

はたして何処から何処へ“帰って”来たのだろう……

                 ◆

ちょうど西南アジアから“帰国”し、一週間が経つ。


どうでもいいが、どうゆう訳か、東南アジアを旅するニッポンジンは極めて多いが、
こと“西南アジア”となると、かなり少ない。

                 ◆

 前回、この
Webマガジン上でも幾度か触れた覚えがあるけれど、

「国」という概念、
「外国」という概念、
「国家」という概念、
「故郷」という概念、

そして「帰着」というコンセプト……



(それにしても、ろくでもない空虚でオカト違いな散々たるこの鬱陶しいブンに、このあまりに高慢ちきな「鼻摘み文体……」。どうしてくれよう……。寛大なる読者に謝罪と眠剤を…… ボン・シャンカール)






何某かを書かねばならない時、どうしても“コトバ”が内包する意味と定義に頭を悩ましてしまう。

それは、ここニッポンを取り巻く環境が、「十年ひと昔」から「五年ひと昔」になり、現在に至っては「ひと月ひと昔」になってしまっているように感ずることと無縁ではない。

そしてまた、20世紀末以降、誰もがほんの数万円で、ときには“日帰り”までが可能になり、
「外国」という単語がたんに“日本国の外にある国”という意味、だけを、臭わしていることが、どうしても気になって仕方がない。


そもそも、ここ“日本国”も事務的手続きを済ませ“出国”してしまえば、あたりまえだけれど既にたんなる某“外国”でしかない。

もちろん我々ニッポンジンと呼ばれる“日本国籍保有者”は、その時点でもう、たんなる“ガイジン”でしかない。

猿と俺

さらに屁理屈を付け加えれば、
この度もまた、たんに“外国”から“外国”に移動した、というだけのことである。


移動の過程において、出入国カードに必要事項を書いたりといったナンセンス?な行為には目をつむるにしても、
いまだ「国」から「国」へ移るにあたって、前世紀末とさして変わらぬバカバカしさにニヒルな微笑を隠しきれない。


               ◆

だから常に私は、日本国以外の他の「国」から帰って来たとき、
“帰国”という漠然とし過ぎた単語を用いることに対し異常なまでの違和感を覚えてしまう。


 
“そのとき拠点としている土地への帰還”、

あるいは、響きに傲慢さが、かなり見え隠れするけれど、

 
“来日”、“訪日”、

 
または

 “日本という不可思議な国への旅”などと書いたりするのです。

森トリミング



タケシ・トラバート(丸本武)

posted by タケシ・トラバート at 09:08| タケシ・トラバート

2012年05月10日

for [webmag Bohemian] Takeshi







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Takeshi Marumoto(丸本武)

olove2000@hotmail.com

Phone(mobile): 080-4474-1975

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Date: Wed, 9 May 2012 22:07:56 +0530
Subject:
From: prabhat.shree@gmail.com
To: olove2000@hotmail.com

この街を離れる最後の日没を
髪の長さ 約三メートルの聖者と
いまさっき
洞窟の出入り口から
うっすらと眺めてきた


実を言うと、今回、本来の目的であった「アフガニスタン・パキスタン難民取材」を最後まで貫き通すことができなかった。
ヘビーな理由もライトな理由もミディアムな理由も多々あるけれど、

この項ではさほど重要でないので割愛させて頂こうとおもう。 

 ◆

この度の取材旅行の拠点となったガンガー上流の小さな町、ラクシュマンジュラ……
この地にとどまりながら、隣国の情勢悪化が多少なりとも収まるのを、
ひたすら待ち続けていた。

その間、パキスタン南部の大都市カラチではジャンボジェット機が墜落し、約200名の乗客が亡くなり、

アフガニスタンの首都カブールではタリバン兵により日本大使館が爆撃され、
インドでは「アグニ5」という名の核兵器搭載可能(全アジアを網羅)のミサイル打ち上げ実験が行われ、
なかなか「難民取材」にまで手が回らなかったのは残念、といえば残念だが、
数ヵ月後にまた向かう。


しかし、

この歳になって、なお、
不可視で未知なる世界と、
極め付けにパワフルな磁場のおかげか、寝ても起きても交流し続けることができた。

それは、言葉や写真などでは決して伝えられないものであるのは間違いないのだが、
ある種、「究極」の地平を、ひたすら滑るように漂い、
いまだかつて人間という生き物が垣間見たことのない森羅の一部をとぼとぼ歩き、


果てしない道行きかと思われたこの人生の、とあるほとりで、
私はひとり、待ち、うなり、吠え

日毎、何某かを失い、
その数兆倍の何某かを、
日毎、どこかから与えられていたような数ヶ月……

ひとは何かを失えば失うほど
与えられ、授けられ、任され、潤される。


“失う” といっても、
たんに物質やそれに順ずるものだけでない。

“これだけは失いたくない”
というものから次々と失ってゆくのです。

もちろん意図的に排除してゆく訳ではなく、
自然に、それも、気づかぬ内に、密かにひそかに

失ってゆく・・・・・・

それは、意識下や無意識に、といった程度の次元ではなく、

使い古された言い回しだが、
「時がこっそり囁く」ように、もとい、そんな囁きさえも紫煙と共に去り
異空間、異時空間、、、異次元、、、

気づくと、いつの間にか

高次元の世界に、
そこにたまたま辿り着けた人間だけの世界の、
その地平を、

ただ
ひたすら

踏みしめているのです





この雑文がウェブマガジン「ボヘミアン」にアップロードされる頃には、

おそらく私は旅半ばでニホンという土地を訪れているかもしれない。

そもそも、私は、何処へゆくのか?
はたまた、カネはあるのか?

何も考えない・・・・・・




この数ヶ月間、

あまたの美しくも妖艶で、過酷ながらも奇跡のような瞬間と、
どれだけ対峙したか、とてもじゃないが覚えていない。

もし、カメラなどの記録マシーンが壊れたりなどしなければ、
その、蛍祭のような一瞬一瞬をフレーミングしたり、露出や絞りがどうのこうの、と、
本当に大切な一瞬を、あっけなく見逃してしまっただろう。


ジャーナリズムであろうと旅であろうと、
かろうじて書けるペンと紙があれば、
それで十分なのだ、
と、あらためて気付かされた日々だった。


 失えば失うほどひとは極端に美しくなったり醜くなったりする



どちらに転ぶかは、この全宇宙が誕生する遥かはるか昔から
誰かが親切にも、すでに決めておいてくれているのだ。

 ◆

いそがず
いそがせず

あせらず
あせらせず

おもうがままに


生きて死のう





タケシ・トラバート
丸本武
posted by タケシ・トラバート at 16:39| タケシ・トラバート