アポカリプス・ハイ タケシ・トラバート

2012年06月28日

こんな、いつ日本が転覆してもおかしくないタイミングに…「映画紹介」:ラム・ダイアリー

ラム・ダイアリー


先程(といっても6月1日のこと)、映画『ラム・ダイアリー』の試写を終え、帰路に。

VIP特別待遇で観れたこともあり、どっぷりディープに…、
泣きが不覚にも…
ハンターが売れない時代の、
まだ彼がゴンゾー取材を確立できてなかった頃の、
切なく、
それでもって分かる人間にしか絶対わからないようなニヒルなジョークが、さらりと織り込まれ、

『ラスベガスをやっつけろ!』以来14年ぶりにハンターを演じたジョニー・デップの、
その抑えに抑えた演技、エトセトラ……

淡々と、不気味に地味で、まるで古いドイツ映画のような作品でもある。


幕が閉じたあと、大きな拍手とスタンディング・オベーションしたのは、ふたりのジェントルマン。

筆者の世代を超えた旧友でソウルメイトのひとり…(ハンター・S・トンプソンにとっては最初の日本の友人、ビート仲間でもある)ムロケン、こと、室矢憲治氏と、もうひとりは、もちろん隣りに座ってたオレ。


「これ、究極のラブレターだね」と、上映後に配給元からコメント求められたトラバート氏は即答。

もちろん、デップが製作費まで出し渾身の演技と、惜しみない愛情が(派手なフッテージ版ではひっそり隠されていたハンターへの、クソ真面目な敬愛の念が)、ひりひり痛いほど、伝わって来たから。

(それにしてもヒロイン役のアンバー・ハードからは、最後の最後まで目が離せなかった……)

書いても書いても買い叩かれてた、しがないジャーナリストを描いているだけあって、色んなフラッシュバックに襲われ、不覚にもまた涙…

ヤーマン

6月30日㈯から全国ロードショー。
映画『ラム・ダイアリー』公式サイト➔http://rum-diary.jp/

posted by タケシ・トラバート at 21:37| ブログ記事

2012年06月20日

「ハウラー・カルカッタ」



掃除夫たちと牛

かろうじて、書く。何もないようなところからムリヤリ書く。
そこに人生のすべて以外、あらゆる価値のないガラクタしかなくとも、
そこにこの宇宙のすべて以外、本来在ってはならないデタラメだらけの因果な虚無さえなくとも、
とりあえず言葉にブチ当たる。

だからいつも、これらのこと……不思議な体験や奇妙珍怪な記憶のヤミ鍋、エトセトラ……

のようなことを、理解に限りがある言葉などじゃなく、
絵や音で表現し、それがちゃんと読者にも伝わり、理解され、第七感でもって感じてくれたなら、なんてステキなんだろーなぁと指をしゃぶって思う。
ホントにめんどうくさいのです。


太古の昔ならば、ひとがまだ絵や音での意思の疎通で大満足して、
いや、もしかしたら想像力だけで意思の疎通を図っていたのかもしれない。

そしたら、絵や音で何もかもを表現してしまえること、なども、どうだってよくなるんだろう。で、
いったい、何を書いているのだろう……



 一服してから前回の「つづき」、書こう。


    *****************************


ところで、どうゆう訳か編集部がこの度、依頼してきたのは、極めて「報道ヴァリュー」の低いテーマと取材だった……
いや、まてよ、頼んだのはこちらからだったか? ……ここ最近、物忘れが加速してる、のが、あ〜コワ……
でも、かれこれ随分と前から「国際難民問題」をテーマの主軸にし、それをライフワークとしてきた(はずの)筆者。ことの始まりなどどうでもよく、結果として当初二週間だけだった取材経費をもう二週間分どうにか捻出してもらい、日程も最大四週間だったものを十二週間に変更してもらい(もちろん四週目以降の滞在費&エトセトラは自腹)、身の危険を感じたら即中止、その場合のギャランティーとして50%保証。悪くない取引だった。

これでバタバタと急ぎ足の取材から解放され、十二週間たっぷり現地でのディープな取材に没頭できる。

パキスタン北西部に最近急増してきているアフガン難民キャンプ。
あの辺りはこれまで幾度も訪れ、土地勘にも滞在費節約にも自信があった。

ただ自由が増えたとはいえ、経費の半分近くは他人が出す以上、手抜きはマズいと、新たに質のよいヴィデオカメラと予備の一眼レフを購入し、許されている経費の半分近くを出発前に使ってしまった。
カネのことを書くのは疲れるから、
この辺にしとこう。


       ◆

真冬の雪がポロリぽろりと降りしきる晩、
十数時間後にはTシャツとサンダル姿が当たり前のベンガル地方、ヒマラヤを源とする聖なる大河ガンジスが恥部、もとい、淫乱なデルタを描く河口付近……。そんなラディカルな「対極」へ。旅の目的そのものも少々ラディカルだったが、東京でのカチコチな生活から、いきなりカルカッタのガチャゴチャなスラム街へ、さらには無法地帯と化して久しいパキスタン北西部への取材、などなどetc.

何度も訪れたことのある土地だからと体調不全&情緒不安を押し切って、さてとサテトと、ひとっ飛び。
発展し過ぎて発狂寸前の大都市から、生と死が過剰・渦状なヤミ鍋メトロポリスへのあっけないフライト。

カルカッタ(コルカタ)といっても、「文化的」なハウラー左岸ではなく、世界最大級のスラム街が幾つも、そしてどこまでも続くハウラー右岸である。町をぶった切るハウラー河のどちら側が左岸でどちら側が右岸なのか、という思想的議論空論はよそへ置いといて……
では、
なんのことやらさっぱり意味不明なので、地図で見るところの左側を右岸カルカッタ、とする(?)。

ハウラーの少女


カルカッタの巨大スラムに赴くのは約十年ぶりだった。

ハウラー右岸……
神々や天使たちから見放されたゾーン独特の、増強された死臭――その濃度と密度の高さゆえか――すぐのどが渇く。数分歩くだけで、もうのどがカラカラになる。

初めてカルカッタのスラム街に足を踏み入れた時は、まだ十代だった。そして二十代。
その頃とまったく変わらず、のどがすぐにカラカラになる。

そんなことは現地に着くとっくの前から知ってた。
でも、毎度のことのようにカバンに忍ばせた水はすぐなくなり、商店を探し当てる前にハエの大群御用達サトウキビジュースを露店でどうしても飲んでしまう……


ま・て・よ


スラム街のことをここで書いてもしょうがない。
前回の「つづき」だったか、中途半端なままに終わらせてしまった「プロローグの『つづき』」だったか、を、
まずどうにかせなあかん。

しかし、脱線してしまったハナシはどこかで区切り、を付けて、終えたい(なんのこっちゃ……)。

すると〜、申し合わせたかのように、カルカッタにまつわる、ある優れたドキュメンタリー映画の存在を思い出す〜
日本でも2009年に全国公開され(来日したりもし)、知っている方もさほど、少なくない、かと、梵ボレナート……

  Zana Briski


ザナ・ブリスキ《写真》という名のフォトジャーナリスト
が、
カルカッタ(コルカタ)のスラム街・売春窟に暮らす子供たちに、使い捨てカメラを渡し、
かれらの視点・身長からスラム街での日常風景を自由に撮ってもらう。
そして皆、スバラシイ写真を撮ってしまう。
ラスト近く、ニューヨークで開催され、大成功を収めた写真展でのシーン。
まるでヴィム・ヴェンダース監督作品『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』の
 “ 写真ヴァージョン ”
が、しかしスラムの子供たちが世界的に注目を浴びるのも、ほんのひととき。
生まれ育った環境は、かれら子供たちを夢から引きずり戻す。


作品のタイトルは『未来を写した子どもたち』
(原題:BORN INTO BROTHELS: CALCUTTA'S RED LIGHT KIDS)

撮影は名ドキュメンタリー作家のロス・カウフマン。
過去に『A Weekend with Mr. Frank』(共に老いたロバート・フランクと元村和彦の回想談をフィルムに収めたドキュメンタリー映画)など、優作多数。



……

映画紹介になってしまった……

映画といえば、次回(次の満月)の前に、ハンター・S・トンプソン原作で、6月30日公開予定の傑作映画をピックアップします。


では!





posted by タケシ・トラバート at 20:44| タケシ・トラバート

2012年06月04日

◆ようやく仮本番◆『アポカリプス・ハイ』

2012年3月1日をもって生まれ変わった「Webマガジンボヘミアン」。
だが、この新生【Bohemian】には、なんと「締め切り」というものがないのです。だから自分で更新日や「〆切日」を設定しないかぎり、ついついテーマも更新頻度もデタラメになってしまう(というのはこのセクションを担当させて頂いている怠惰な筆者だけだが……)。

そのような訳で、今後、毎月約二回。正確には、
「満月の日」と「新月の日」に必ず入稿&アップロードするよう、枷(かせ)をおのれに課すことにしました。


具体的には旧「Webマガジンボヘミアン」上で隔週連載していた頃と同じ体裁で、かつ、一篇の長いストーリー&ルポルタージュを数カ月掛け、新しく書き下ろしてゆこうと(まあずぼらな筆者ではありますが)考えてみた訳です。

同時に、メイン連載とは別に、毎月一回を目安に「今月の映画・音楽・アート」といったカタチで文化紹介セクションも設けてゆきます(といっても、作品に対する評価やレビューに関しては、頑固なほどに主観押し売り&偏り具合の、その呆れるほど重症な「独断」主義私情主義者(?)である… ついでにかなりの「鼻ツマミ者」&「ジャー なルシシズム」創始者(?)、有無を言わさぬ自己責任確信犯(?)の、筆者ですが……)。

       ◆

  【序章:プロローグ】



とてもとてもこれらのことがらや、私を包み込んでいた不可視で、時空の濃度も密度もかなりハイで、かなり奇妙なエピソードの数々……
とてもじゃないが、文字なんぞで説明したり表現したりできるものではない。

もちろん「文章力」について書いているのではない。

「文章力」といえば、悲しいかな、いまだちゃんとした文章が書けない。
「文字で表現する権利」を自分で煙草を靴底でもみ消すように踏みにじってる、という訳ではなく、とにかく書けない、という事実が明らか過ぎて、かなり(疎ましくも)悩ましいかぎり。

どんな達筆家であろうと優れた表現者であろうとなかろうと、心身ともに強力な磁場にエフェクトされた土地で、いままでとはまったく異なるスタイルで、過剰なまでにオープンで、くどいほど深みに喰い込み、これこそがおのれ本来のもうひとつの姿に間違いない、と確信に限りなく近く、自信に満ち溢れこぼれ、その確信やら核心やら自信やら自意識やらを持って、わめき立てたり、囁いたり…… などといった行為など出来っこない、と、断言さえできる(ブンポウさえも忘れてしまったのか!?)。

まずはとにかく言葉を探す準備さえできないし、探すのに準備など必要としない言葉さえも、まったく思い浮かばない。
とにかく、わたしの言葉力では、到底、ほんのひとかけらも、かすかな香りも、あの感覚も、たとえどんなせこい手段を乱用したとしても、文章として成立させること、不可能。


       ***

と、そんな泣きごとと言い訳とヘリクツの数々を並べ立て、読者をうんざりさせても罪悪感などまったく覚えず、なにかしら“読むに値する”かもしれない文章を書き続けようという高慢な行為も、カルマなノルマであるということ、重々承知の上で、

もう一度、カードをシャッフルし直す。

何を失ったかよりも、何を手に入れてしまったのか……、ここ数週間のあいだわざわざ意識して無視し、トンズラ音頭と決め込んでた。
正直のところどちらも忘れかけてしまってた。

ところが、常にその存在感を所持者にアピールしてくる種類の「記憶」がある。悩ましいほど、かなりある。そして本人はわりと頻繁に、そんな尋常ならざるシュプレヒコールにあっ気なく負けてしまう。
でも、負けてからが勝負。ガス欠してもうビクリとも動かなくなったバイクのタンクにキスして路肩にぶん投げ、次のトラフィック手段を探しにかかる。

いまだに頭の中が交通状態、もとい、交通渋滞であろうと、不平不満のクラクションがアチラコチラから聞こえてこようと、あぶら汗を流しながら冷静さを装う。

いつコワレルときが来るのかドキドキハラハラしながら。



       ❖

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その長く美しいブルネットがうっすらと初老色にブレンドされたシヴァ・リーは、ふと正気に戻ったぼくが、
――さすがに聖者たちの前でサルの神像に筆を入れるなんて……ナーバスで何だか気が滅入ってきたよ――と溢すと、その何事が起こっても冷静沈着な彼女が優しく、そして怖ろしいほどクールにそっとつぶやいた。

「やれると感じたことだけやればいいのよ」


シヴァ・リーのそんな他人事のようなひと言には、あの時だけじゃなく今もよく救われている。
「やれることだけ」と、「やれると感じたことだけ」という表現の間には、その言葉の重みと深さにおいて、あまりに深すぎて巨大な溝がある。

もしあの時、
「やれることだけ、やれるところまで頑張れば、それでいいのよ」
と彼女がつぶやいたなら、たぶんぼくは逆に不安に駆られていたかもしれない。

       ❖

さかのぼること、その数週間前。ヒンドゥーの神様で猿の姿をしたハヌマーン像を祭る小さな祠に、わたしはいた。

最後に塗り直されてからかなりの歳月が経ち、色がほとんど剥げ落ちたハヌマーンを前にし、祠の住職でもあるサドゥーにむかって無謀にも「ぼくが塗り直してみましょうか」などと軽口を叩いたの始まりだった。


つづく

タケシ・トラバート

posted by タケシ・トラバート at 21:23| タケシ・トラバート