アポカリプス・ハイ タケシ・トラバート

2012年05月20日

◆ ニッポンへの旅 ◆


on-na

帰国した、という感は、幸か不幸か毎回の如く、無い。

生まれ育った“国”に帰って来た、というだけでの意味で、私は“帰国した”と書ける。

はたして何処から何処へ“帰って”来たのだろう……

                 ◆

ちょうど西南アジアから“帰国”し、一週間が経つ。


どうでもいいが、どうゆう訳か、東南アジアを旅するニッポンジンは極めて多いが、
こと“西南アジア”となると、かなり少ない。

                 ◆

 前回、この
Webマガジン上でも幾度か触れた覚えがあるけれど、

「国」という概念、
「外国」という概念、
「国家」という概念、
「故郷」という概念、

そして「帰着」というコンセプト……



(それにしても、ろくでもない空虚でオカト違いな散々たるこの鬱陶しいブンに、このあまりに高慢ちきな「鼻摘み文体……」。どうしてくれよう……。寛大なる読者に謝罪と眠剤を…… ボン・シャンカール)






何某かを書かねばならない時、どうしても“コトバ”が内包する意味と定義に頭を悩ましてしまう。

それは、ここニッポンを取り巻く環境が、「十年ひと昔」から「五年ひと昔」になり、現在に至っては「ひと月ひと昔」になってしまっているように感ずることと無縁ではない。

そしてまた、20世紀末以降、誰もがほんの数万円で、ときには“日帰り”までが可能になり、
「外国」という単語がたんに“日本国の外にある国”という意味、だけを、臭わしていることが、どうしても気になって仕方がない。


そもそも、ここ“日本国”も事務的手続きを済ませ“出国”してしまえば、あたりまえだけれど既にたんなる某“外国”でしかない。

もちろん我々ニッポンジンと呼ばれる“日本国籍保有者”は、その時点でもう、たんなる“ガイジン”でしかない。

猿と俺

さらに屁理屈を付け加えれば、
この度もまた、たんに“外国”から“外国”に移動した、というだけのことである。


移動の過程において、出入国カードに必要事項を書いたりといったナンセンス?な行為には目をつむるにしても、
いまだ「国」から「国」へ移るにあたって、前世紀末とさして変わらぬバカバカしさにニヒルな微笑を隠しきれない。


               ◆

だから常に私は、日本国以外の他の「国」から帰って来たとき、
“帰国”という漠然とし過ぎた単語を用いることに対し異常なまでの違和感を覚えてしまう。


 
“そのとき拠点としている土地への帰還”、

あるいは、響きに傲慢さが、かなり見え隠れするけれど、

 
“来日”、“訪日”、

 
または

 “日本という不可思議な国への旅”などと書いたりするのです。

森トリミング



タケシ・トラバート(丸本武)

posted by タケシ・トラバート at 09:08| タケシ・トラバート