アポカリプス・ハイ タケシ・トラバート

2012年06月04日

◆ようやく仮本番◆『アポカリプス・ハイ』

2012年3月1日をもって生まれ変わった「Webマガジンボヘミアン」。
だが、この新生【Bohemian】には、なんと「締め切り」というものがないのです。だから自分で更新日や「〆切日」を設定しないかぎり、ついついテーマも更新頻度もデタラメになってしまう(というのはこのセクションを担当させて頂いている怠惰な筆者だけだが……)。

そのような訳で、今後、毎月約二回。正確には、
「満月の日」と「新月の日」に必ず入稿&アップロードするよう、枷(かせ)をおのれに課すことにしました。


具体的には旧「Webマガジンボヘミアン」上で隔週連載していた頃と同じ体裁で、かつ、一篇の長いストーリー&ルポルタージュを数カ月掛け、新しく書き下ろしてゆこうと(まあずぼらな筆者ではありますが)考えてみた訳です。

同時に、メイン連載とは別に、毎月一回を目安に「今月の映画・音楽・アート」といったカタチで文化紹介セクションも設けてゆきます(といっても、作品に対する評価やレビューに関しては、頑固なほどに主観押し売り&偏り具合の、その呆れるほど重症な「独断」主義私情主義者(?)である… ついでにかなりの「鼻ツマミ者」&「ジャー なルシシズム」創始者(?)、有無を言わさぬ自己責任確信犯(?)の、筆者ですが……)。

       ◆

  【序章:プロローグ】



とてもとてもこれらのことがらや、私を包み込んでいた不可視で、時空の濃度も密度もかなりハイで、かなり奇妙なエピソードの数々……
とてもじゃないが、文字なんぞで説明したり表現したりできるものではない。

もちろん「文章力」について書いているのではない。

「文章力」といえば、悲しいかな、いまだちゃんとした文章が書けない。
「文字で表現する権利」を自分で煙草を靴底でもみ消すように踏みにじってる、という訳ではなく、とにかく書けない、という事実が明らか過ぎて、かなり(疎ましくも)悩ましいかぎり。

どんな達筆家であろうと優れた表現者であろうとなかろうと、心身ともに強力な磁場にエフェクトされた土地で、いままでとはまったく異なるスタイルで、過剰なまでにオープンで、くどいほど深みに喰い込み、これこそがおのれ本来のもうひとつの姿に間違いない、と確信に限りなく近く、自信に満ち溢れこぼれ、その確信やら核心やら自信やら自意識やらを持って、わめき立てたり、囁いたり…… などといった行為など出来っこない、と、断言さえできる(ブンポウさえも忘れてしまったのか!?)。

まずはとにかく言葉を探す準備さえできないし、探すのに準備など必要としない言葉さえも、まったく思い浮かばない。
とにかく、わたしの言葉力では、到底、ほんのひとかけらも、かすかな香りも、あの感覚も、たとえどんなせこい手段を乱用したとしても、文章として成立させること、不可能。


       ***

と、そんな泣きごとと言い訳とヘリクツの数々を並べ立て、読者をうんざりさせても罪悪感などまったく覚えず、なにかしら“読むに値する”かもしれない文章を書き続けようという高慢な行為も、カルマなノルマであるということ、重々承知の上で、

もう一度、カードをシャッフルし直す。

何を失ったかよりも、何を手に入れてしまったのか……、ここ数週間のあいだわざわざ意識して無視し、トンズラ音頭と決め込んでた。
正直のところどちらも忘れかけてしまってた。

ところが、常にその存在感を所持者にアピールしてくる種類の「記憶」がある。悩ましいほど、かなりある。そして本人はわりと頻繁に、そんな尋常ならざるシュプレヒコールにあっ気なく負けてしまう。
でも、負けてからが勝負。ガス欠してもうビクリとも動かなくなったバイクのタンクにキスして路肩にぶん投げ、次のトラフィック手段を探しにかかる。

いまだに頭の中が交通状態、もとい、交通渋滞であろうと、不平不満のクラクションがアチラコチラから聞こえてこようと、あぶら汗を流しながら冷静さを装う。

いつコワレルときが来るのかドキドキハラハラしながら。



       ❖

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その長く美しいブルネットがうっすらと初老色にブレンドされたシヴァ・リーは、ふと正気に戻ったぼくが、
――さすがに聖者たちの前でサルの神像に筆を入れるなんて……ナーバスで何だか気が滅入ってきたよ――と溢すと、その何事が起こっても冷静沈着な彼女が優しく、そして怖ろしいほどクールにそっとつぶやいた。

「やれると感じたことだけやればいいのよ」


シヴァ・リーのそんな他人事のようなひと言には、あの時だけじゃなく今もよく救われている。
「やれることだけ」と、「やれると感じたことだけ」という表現の間には、その言葉の重みと深さにおいて、あまりに深すぎて巨大な溝がある。

もしあの時、
「やれることだけ、やれるところまで頑張れば、それでいいのよ」
と彼女がつぶやいたなら、たぶんぼくは逆に不安に駆られていたかもしれない。

       ❖

さかのぼること、その数週間前。ヒンドゥーの神様で猿の姿をしたハヌマーン像を祭る小さな祠に、わたしはいた。

最後に塗り直されてからかなりの歳月が経ち、色がほとんど剥げ落ちたハヌマーンを前にし、祠の住職でもあるサドゥーにむかって無謀にも「ぼくが塗り直してみましょうか」などと軽口を叩いたの始まりだった。


つづく

タケシ・トラバート

posted by タケシ・トラバート at 21:23| タケシ・トラバート