アポカリプス・ハイ タケシ・トラバート

2012年12月08日

「言い訳の美学」 & 久しぶりだったボヘミアンナイト


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どうも、このページ、更新がついつい遅れがち、になってしまう。

以前書いたかもしれない。
「ウェブサイト内ブログ」という形態で筆者がダイレクトに「入稿」するタイプ。

まだ使い勝手がウマくいかない。




「連載」という前提で更新してゆくと、【休載・終了コンテンツ】内に今もまだ残されている「ノーマンズランドの亡命者」というワクとは、まったく違った「意識」で書き継いでいかんと続かへん。

11月の「ラクシュマンジュラ」にしろ、このまま「つづき」を繰り返せば、自分にとっては楽しいけれど「読者」の方々にとっては、
しんどさの極致。
あの!すでに死語になって久しい「ケータイ小説」なるもの、「ブログ連載小説」なるもの、にさえ、手が届かず、野バラとイバラが織りなす時空間の中で迷子になりながらもオママゴト……。


これからは「つづきモノ」ではなく「一回読み切りモノ」。
それもブログ日記を更新する感覚でイッてみまショウ!




では言い訳もそこそこに……


と、いうことで、
『言い訳の文化』と題し今回は、
その重要性、必需性、さらには、言い訳の「美学」について、熱く、暑苦しく、あつかましく……


「いいわけ」

日常ではもうあまり聞かなくなったけれど、
「言い訳は聞きたくない!」「言い訳はもうヤメテ!」云々といった字幕をスクリーン右or 下部ではかなりひんぱんに目にする。
(まあ、映画でなくとも実際に普段からよく耳にする、か……)
ネガティヴな印象を与えてしまう、かなり否定的なひびきをともなった「言い訳」というコンセプト……

そもそも われわれ の用い方がヘンなのである。

結論を先に書けば



 『 言い訳 』
        は
        ネセサリー


 である。


どんな国や土地を旅しようと、みな「いいわけ」にはかなりの熱を入れる。

相手が「よそもの」である私であっても、地元人どーし、であっても、かなり「説得力」ある「言い訳」に、その熱心さに、ときより、感じ入る。

そこに ついつい「美学」なるものを混入させてしまう……

それもずいぶんとまたハイな次元さん、の域にて……

見事なまでの「ストーリーテラー」&「吟遊即興詩人」ぶり!

そんな「語り」に出会った日には(夜には)、知らぬ間に〜いつの間に〜「納得」してしまうほどの「言い訳の妙技!」、

そこへもってきて「言い訳の美学」なるものを強引なほどに、わんさかまぶして悦に入るオレ。

そもそも「言い訳」とは、しなければならないある種の「義務」である。

たとえ「言い訳無用!」と突き返されようとも、当人には「言い訳」の義務なるものがある。




もし、なにかしら「ヘタ」をうったのなら、まずは「言い訳」を、

ワケ言いを、きちんと行わなければならない。

そこで あなたには 相手を納得(煙に巻く?)させるくらい、たくみな「言い訳力」、が必要になって来る。

何事にも、まず「訳(ワケ)」がある。



そしてそれを「言う(述べる)」権利がある。

そこで初めて、フェアな判断と言うに足るキャストが、そろうことになる。


そもそもデモクラシアとは、このようなものだと「オレ」は解釈しているが、さほど間違ってはいないと思う。



はい。(?)で、

なんのハナシでしたっけ?

そう、中途半端で申し訳ありませんが〜
昨夜数年ぶりに都内某所で開催された「Webマガジン【ボヘミアン・ナイト】2012」★(クリエーター志望者たちと「かんけーしゃ」たちの交流会)

トークも、びっくりな変装も、遠く九州からやって来られた方々も、アピールタイムでのアラカルトな十人十色さにも、意外に!? かな〜り楽しませていたーきゃしたー!

事務局の方々&ボランティア・スタッフの方々、レスペクト!




    文責:丸本武

posted by タケシ・トラバート at 21:49| タケシ・トラバート