アポカリプス・ハイ タケシ・トラバート

2013年02月14日

『外典:ボヘミアン・デカダンス』


stand bar


『 ボヘミアン・デカダンス 』 という名の小説が存在していることは以前から知っていた。
 幻の小説だ。

カタルーニャ州立図書館の公式な資料に基づくならば、この小説が初めて日の目を見たのは、1943年、第二次世界大戦真っただ中のバルセロナでのこと。

出版元は妙なことに下町の鞄屋である。

その鞄屋は、いまでも地中海に浮かぶマヨルカ島へ向かうフェリー乗り場近くに店を構えているのだけど、何度も経営者が変わり、本や雑誌を出版していたという事実を知る店員はもはやいない。

いまその界隈は、観光シーズンでフェリー乗り場が旅行者でごった返すとき以外はずいぶんと閑散としている。
ときより地元の老人が犬を散歩させたり、野良猫が退屈過ぎて大げさなあくびを連発させているぐらいだ。


私は数年前にそこを訪れた。

例の鞄屋は、あのトム・ウェイツが愛用していたステイシー・アダムス社の子会社となっていた。
新しい経営方針に従って上からの発注があると、別の離れた場所にある工房へ製造の指示を出すだけの味気無い事務所になってしまっている。
ただ、戦前からその鞄屋さんのハス向かいにある、古くてかび臭いバルの常連の中に、当時をよく知る老人がいた。

たしかフリオという、ありきたりだが心地よい響きを持った名前の老人だった。

若き日の彼はハンサムで女にもてただけでなく、その界隈では名の通った伊達者で、絵描きと吹聴しながら実際に彼が描いた作品を見た者はおらず、いつも洒落たイギリス風のハンチング帽をかぶってバルというバルに顔を出してはひと悶着起こし、喧嘩に強かった。

実際に彼がやっていた仕事はというと、波止場をうろつく密輸業者たちへのケチな情報屋だった。
地元の警察がどこかから情報を仕入れ、現場に駆けつける前にフリオは先回りして密輸業者を逃していたのだ。


筆者が滞在中、老フリオ氏が当時を振り返りながら独特な笑みを浮かべて語って聞かせてくれた話は、この文章を書いているいまになって全部デタラメだったのではと、ふと思う。

フリオの死を知ったのは、つい先月のこと。
実際の若き日のフリオは、自作自演で戦時下の混乱を利用してありとあらゆる人間を騙しては金を巻き上げていたせこい男だった。もちろん先に書いた情報屋というのも全て自作自演の陳腐な芝居だった。
が、それさえ真実かどうか定かではない。


ところで 『 ボヘミアン・デカダンス 』 という小説の存在を知ったのは、とあるひょんな出来事のさなかだった。カルロス・サウラというスペインの映画監督を尋ねにマドリードを久しぶりに訪れた際のことだった。

バルセロナの靴屋を訪ねる丁度一年前、これを書いている現在から数年前のこと……。


              †


待ち合わせに指定されていた中央電話局の裏にあるカフェで、映画監督が現れるのを私は辛抱強く何時間も待っていた。

ウェイトレスは最近この店が雑誌に載ったことを、まどろっこしい仕草をまじえて私に何度も話してはウットリとしたなまなざしを宙に浮かべるばかり。

注文したカフェイン抜きのエスプレッソが私の座るテーブルにいっこうに現われない。

そして例の寡黙で落ち目の映画監督も……。


痺れを切らした私はようやくレジの脇に置かれたレトロな電話機から、待ち合わせ場所になかなか姿を現さない映画監督氏のオフィスへダイヤルした。しかし、その燻し銀の錆びた鉄アレイのような寂しげな電話機は、お洒落なカフェの気の利いた置物であることに私は数分経ってから気づくことになる。

お喋りなウェイトレスさえその日までレジの脇に置かれた電話機が単なるインテリアの一部だとは知らなかったのだ。


ため息をそっとカウンターの上に残し、店を出ようとした刹那、例のウェイトレスが私の羽織る黒いロングコートのポケットに、きっちりと折り畳まれたメモ用紙を、まるで熟練したスリのように忍ばせたのだが、すぐにそれに気づいた私は通りに出てしばらく歩いてから、そのセピア色の紙にわざとらしくレトロな文字で書かれたメモを読んでみた。レトロさを保ちながら実に小さな文字でびっしりだった。


《 かつて詩人であったパコより。失礼ながら、あなたが窓際の席で誰かを待ちながら煙草をひと箱空けるまでの小一時間、わたしはずっとあなたを観察しておりました。あなたがあの店の客では珍しい東洋人だったからではありません。ただ、暇だったからです。わたしはあなたがおもむろに席を立ち、カウンターに置かれた電話機に向かったとき、店を出ました。遅かれ早かれあなたも店を出るだろうと(解読不明)・・・街の人々はときより無礼な態度をとることがあります。ところで、わたしはカフェイン抜きのエスプレッソを出すカフェをひとつ知っていますが(解読不可能)・・・だったかあなたを別の町で見たことがあります。真夜中にわざわざ騒がしいバー・カウンターでオレンジジュースを飲みながら本を読んでいましたね。わたしはその本の著者です。あなたが座っていたスツールの隣でわたしは当時の妻とテサロニケ……珍しいカクテルの名前です(いちいちそのカクテルのレシピが書き込んである。省略)…を呑みながらわたしの書いた本をすぐそばで誰かが読み耽ってくれているという構図に酔いしれ、夢中にページをめくるあなたに声を掛け、『この本を書いたのはこのわたしだ!』って叫ぼうとしたくらいでした。当時の妻がそれを止めてくれたのですが……》

そこまで読むと、私は面白くてつい吹き出しそうになってしまった。
あのときのことはよく覚えていた。3年ほど前のカディスという港町のカフェ・バーだ。

あのとき私は本を読んでいたのではなく、目の前のあまりに美しいバーテンダーが気になってしょうがなく、本を読むフリをしながら目に焼き付けていたのだ。

何度も何度も目に焼き付けて、宿に戻って彼女の顔を思い出しながら絵を描いていたのだ……それも何十枚も。


当時、私はスペイン語で書かれた本などあまり読めなかった。日常会話でさえデタラメだった。でも、それはまた違う物語に直結してしまう。


私は再びウェイトレス経由で渡された「手紙」の続きを読んだ。

《……なぜわたしがあなたにこのような紙切れを渡したかといいますと、あなたがわたしの他の著作にも目を通されていると確信したからです。あのとき読まれていたわたしの本は『まぼろしの列車』でしたね。わたしはあの本の序文で同時期に編集いたしました『マグダラの堕天使』という詩集について簡単に触れました。わたしの他に多くの有名無名の詩人が書き残したものを纏めたものです。ところで、“ カフェイン抜きのエスプレッソ ” を注文したあなたは、あの結社のメンバーですね。ご存知でしょうからそれについてこれ以上は書きません。『マグダラの堕天使』に詩が載せられた詩人のほとんどは結社のメンバーです。実は詩集が出版されたあと、メンバーの中で自作をあの詩集でとり上げられた者の幾人かは自ら命を絶ってしまいました。わたしは秘密結社のことなど当時まったく知らず、良かれと思って埋もれた詩人たちの作品を勝手に、本人たちの許可も得ず詩集に掲載してしまったのです。この罪悪感は一生消えるものではありません。……あなたに直接会ってお話したいことがあります。あなた自身にとって極めて重要なことだからです。今夜10時にカフェ『ラ・アモール・デ・ムイ・カンサード』の二階で。赤い丸眼鏡を灰皿の横に置いておきます。パコ 》


読み終えた私は、「手紙」の内容よりも完読できた自分におののいた。


外国人の私にとって難しい表現が一切なかったことも要因のひとつだったが、悪戯だか嫌がらせだか知れないメモに最後まで付き合えるほどの心のゆとりがまだ自分にも残っていたことに呆れ果てた、といったほうが正しいかもしれない。


雨が降り始めていた。私はいそいで近くにあった公衆電話から待ち合わせをしていた映画監督のオフィスにコレクトコールした。

受話器に出たのは彼の長年の相棒であり、プロデューサーのアンヘル女史だった。
「あいにくですが、彼は外出しております」

とても古風で貴婦人らしい口調だ。
「いつごろ戻るか、でしょうか? おそらくは暗くなる前に」

既に分厚い雲で覆い隠された地平の遥かむこうに陽は落ち、冷たい雨が激しさを増していた。
「何か、おことづけでも?」

私は連絡先だけ告げると丁重に、そしてこごえる右手で本物の電話機に受話器を戻した。


普段から時計というものを持ち歩かない私は、時間を知るために人通りの多い繁華街へとずぶ濡れになりながらトボトボ歩いた。

冬が近づいている。マドリードの冬は凍死者がでるほど寒い。
冬がやって来る前に町を離れたかった。


毎年、寒い季節になると、世界のどこにいようと厄介な妄想にトリ憑かれる。

まるで広がり続ける宇宙の外側に取り残されたかのような感覚に陥り、数兆年先のことを考えたり、ビッグバンで宇宙が生まれるさらに数兆年昔のことを延々と考え続け、突如としてそれらが今この瞬間という瞬間に帰結し、最後には激しい動悸とあぶら汗で気を失いかけてしまうのだ。

年々、その発作のような妄想の度合いが強くなってきている。
こればかりは治らぬ持病として


(以下、消失)



文責:丸本武
posted by タケシ・トラバート at 22:10| タケシ・トラバート

2012年12月08日

「言い訳の美学」 & 久しぶりだったボヘミアンナイト


Angels-32.JPG



どうも、このページ、更新がついつい遅れがち、になってしまう。

以前書いたかもしれない。
「ウェブサイト内ブログ」という形態で筆者がダイレクトに「入稿」するタイプ。

まだ使い勝手がウマくいかない。




「連載」という前提で更新してゆくと、【休載・終了コンテンツ】内に今もまだ残されている「ノーマンズランドの亡命者」というワクとは、まったく違った「意識」で書き継いでいかんと続かへん。

11月の「ラクシュマンジュラ」にしろ、このまま「つづき」を繰り返せば、自分にとっては楽しいけれど「読者」の方々にとっては、
しんどさの極致。
あの!すでに死語になって久しい「ケータイ小説」なるもの、「ブログ連載小説」なるもの、にさえ、手が届かず、野バラとイバラが織りなす時空間の中で迷子になりながらもオママゴト……。


これからは「つづきモノ」ではなく「一回読み切りモノ」。
それもブログ日記を更新する感覚でイッてみまショウ!




では言い訳もそこそこに……


と、いうことで、
『言い訳の文化』と題し今回は、
その重要性、必需性、さらには、言い訳の「美学」について、熱く、暑苦しく、あつかましく……


「いいわけ」

日常ではもうあまり聞かなくなったけれど、
「言い訳は聞きたくない!」「言い訳はもうヤメテ!」云々といった字幕をスクリーン右or 下部ではかなりひんぱんに目にする。
(まあ、映画でなくとも実際に普段からよく耳にする、か……)
ネガティヴな印象を与えてしまう、かなり否定的なひびきをともなった「言い訳」というコンセプト……

そもそも われわれ の用い方がヘンなのである。

結論を先に書けば



 『 言い訳 』
        は
        ネセサリー


 である。


どんな国や土地を旅しようと、みな「いいわけ」にはかなりの熱を入れる。

相手が「よそもの」である私であっても、地元人どーし、であっても、かなり「説得力」ある「言い訳」に、その熱心さに、ときより、感じ入る。

そこに ついつい「美学」なるものを混入させてしまう……

それもずいぶんとまたハイな次元さん、の域にて……

見事なまでの「ストーリーテラー」&「吟遊即興詩人」ぶり!

そんな「語り」に出会った日には(夜には)、知らぬ間に〜いつの間に〜「納得」してしまうほどの「言い訳の妙技!」、

そこへもってきて「言い訳の美学」なるものを強引なほどに、わんさかまぶして悦に入るオレ。

そもそも「言い訳」とは、しなければならないある種の「義務」である。

たとえ「言い訳無用!」と突き返されようとも、当人には「言い訳」の義務なるものがある。




もし、なにかしら「ヘタ」をうったのなら、まずは「言い訳」を、

ワケ言いを、きちんと行わなければならない。

そこで あなたには 相手を納得(煙に巻く?)させるくらい、たくみな「言い訳力」、が必要になって来る。

何事にも、まず「訳(ワケ)」がある。



そしてそれを「言う(述べる)」権利がある。

そこで初めて、フェアな判断と言うに足るキャストが、そろうことになる。


そもそもデモクラシアとは、このようなものだと「オレ」は解釈しているが、さほど間違ってはいないと思う。



はい。(?)で、

なんのハナシでしたっけ?

そう、中途半端で申し訳ありませんが〜
昨夜数年ぶりに都内某所で開催された「Webマガジン【ボヘミアン・ナイト】2012」★(クリエーター志望者たちと「かんけーしゃ」たちの交流会)

トークも、びっくりな変装も、遠く九州からやって来られた方々も、アピールタイムでのアラカルトな十人十色さにも、意外に!? かな〜り楽しませていたーきゃしたー!

事務局の方々&ボランティア・スタッフの方々、レスペクト!




    文責:丸本武

posted by タケシ・トラバート at 21:49| タケシ・トラバート